このブログは、wizon wizardryonline (ウィザードリィオンライン)のプレイ風景をつづったものです
JP現アルバロア鯖で活動しているプレイヤーの個人日記です。
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ヴァー
リバースという新スキルについて、前回の記事で「メンバーにもかけられるんじゃね?」とか適当ぶっこいてすいません。
どうもかけられないっぽいですね。自分専用の魔法みたいです。
これを踏まえてもう一度リバースというスキルを考察すると。
自身の最後(を超えた)の生命線、隠し残機+1ということになるでしょうか。
コメント欄でシュナトのアヴルールの狂信者イリアさんがご指摘くださったとおり
ガードマンなどの範囲攻撃がキツイ敵と戦う場合、最前線にいるLORやFIGの回復を行うためには
PRIも死地に踏み入らねばならないわけですね。
DS使っても、現行の最新SR装備を仮に7まで叩いていても即死するレベルの範囲攻撃をぶちかましてくる敵は近頃非常に多いです。PRIはパーティの戦線維持のかなめですから、そういった攻撃で盾役より先にやられてしまうとパーティがみるみる崩壊してしまいますよね。
それを食い止めるための保険のような蘇生魔法かと思います。
PRI以外が死んだ場合、最近はリバイブ・リザレクかけてもらえますが、PRIには誰もかけてくれません(かけられない)ですし、これが唯一にして絶対の切り札になるのではないでしょうか。リバースでより生存性を強め最後までPTを支え続けるプリーストとなれるのか。また盾に持っていっても相性の良いスキルということには変わりありません。これに1枠使うなら私はバリア持っていきますけどね。
リバかけぬ、いざ生きめやも。(リバースをかけました。さあ、生きなければなりません)
**********************************************
wizonと全く持って関係ない話ですが宮崎駿の「風立ちぬ」見てきました。
彼女と一緒にね!
・・・・・・・・・・・・・・・・それでですね。
いやー事前に賛否両論あることはネットで知っていたので、いろんな意味で楽しみにしていた映画です。
見終わった感想ですが、ものすごく面白かったと感じました。
しかし、この映画なぜか「すげーくだらない!ちっとも面白くない」と思う人から「映画史に残る傑作」と感じる人まで様々にいるようです。どうもこの映画、見る人によって感想が両極端に違うようですね?でもそれはいったいなぜでしょうか。
ひとつは主人公の青年堀越に対する人物的評価が分かれる点ではないでしょうか。
私の考えでは、この映画見る人の人生観で見方や感じ方ががらりと変わってしまう気がします。
*以下「風立ちぬ」の大変なネタバレタイフーンです。未見の方は絶対に読まないでください*
(マジでネタバレ書くから、ぜったいみんなよ?)
そろそろ、いいかな?
それで人生観というのは「どういった生き方に共感を覚えるか」ということです。
風立ちぬの主人公堀越二郎は優秀な飛行機製作者で、その青年期を第二次世界大戦で活躍した日本の戦闘機「ゼロ戦」を作るために没頭します。その間地震や戦争や恋人とのなんやかんやがあるのですが、この飛行機作りに没頭するという行為に共感できるか否かがこの映画の評価を真っ二つに割っている原因だと思います。
二郎は基本的に飛行機のことしか考えられません。最初っから最後までそうです。
最愛の妻が危篤になった時でさえ飛行機の図面を放しません。演出上大粒の涙を流していますが、私はあの描写自体なんか浮いてる気がしました。堀越二郎という青年は飛行機の図面に涙を落したりしない。図面を引きはじめたら全くその世界に没入してしまう性格なので、あの演出は「堀越が最愛の妻と飛行機制作との天秤で苦しんだという表現」なのであって、実際は涙を流しそうもない性格の飛行機大バカなのです。
だから、妻に対する愛情表現もなんかよそよそしい。絵と声があっていないせいもあるでしょうが、どうしても他人とのコミュニケーションが描かれるシーンは浮世離れして見えるのです。
ひとつ印象的な例を挙げると
冒頭から繰り返し描かれる「夢」の描写。これが嫌に生々しい。もはや「夢」パートのほうが「現実」より重みをもっているかのような迫力で描かれています。
堀越は飛行機制作という「夢」の世界で生きている人であって、「現実」はあくまでそのための手段以上のものではないのです。
彼が時折口にする「美しい」という言葉があります。彼は「美しいものしか見えない」人なのです。大震災が起こっても、どこ吹く風で異国の飛行機制作者のことを夢想するくらい目の前の現実は彼にとってリアリズムのないことなのです。
「夢」のために没頭する、そういう彼をみて「すごい!面白い!なんてやつだ!」とおもうか「ありえねえ変人だなこいつ」とおもうか。見た人のそういう感性が堀越に対する評価を決定づけていると思います。
わたしは実は理系畑出身の人間です。(意外かもしれませんが)
理系に行った人ならわかるでしょうが、ほとんど学生は堀越みたいな人間ばかりです。専門分野にのめり込み、没頭し、世間知らずで・・・だが優秀でなによりもピュア。
そういった人間を「あまり好きではない」と思う人が多いのは知っています。間違いなく彼らは変人だから。けれど「世間では通用しない・コミュニケーションスキル0」などと言われても彼らは一顧だにせず研究にまい進します。
彼には「自分が他人からどう見られているか」「世間で大事なこと」などどうでもいいのです。彼らは自分の研究対象の「美しさ・面白さ」しかほんとに興味がないのです。
この感覚、ものすごくわかりにくいかもしれませんが。私にはなんだかそういった生き方、そういった人生にシンパシーを感じる部分があって、それを正面から描いてくれた風立ちぬにはスタンディングオベーションを送る勢いなのです。
彼らは世間に迎合することができない。可愛い彼女とシブヤのクラブで踊り狂った経験のない代わりに、不屈の闘志をもって困難に一晩中挑んだ経験があります、本当に冗談抜きで10年も20年も同じ研究の失敗を乗り越えて進んでいきます。朝から晩まで、いや気が付いたら数か月も研究室にこもり、ひたすらに試行錯誤に没頭します。
わたしには不覚にもそれが美しく見える。大声も出さず、ひたすら自分の世界でのみ感覚と知識を特化していくその静かな情熱が美しく見えるのです。
監督の宮崎駿もおそらくそういう人生観にシンパシーを持っているのでしょう。
彼が堀越青年を自らの映画の中で「最高クラスの無敵主人公」として描いているのが伺われるシーンがあります。
それは主人公とヒロインの関係です。
私見ですが、ジブリの作品は主人公の色恋沙汰が非常に困難な特徴を持っています。また、ヒーロー(男)がどれだけ監督に愛されているかによって、ヒロインとの恋愛成就度合いに差があります。以下いくつか例示します。
「風の谷のナウシカ」(原作)
ナウシカの相手はなんかものすごい超人です。つまり超人クラスの人間ではないとうちの娘(ナウシカ)との交際は許せない!!という駿さんの意図が見えます。アニメ映画版のナウシカのパートナーは名前も忘れたあの餓鬼ではなく、オームです。オームは超自然存在(人間を超えている)であり、高速移動&飛翔描写があり、そしてナウシカを連れ去る存在として監督からはボディタッチとなんかやらしい触手プレイまでは許してもらえています。
「カリオストロの城」
ルパンはハートを盗んでいきました。でもそれを指摘するのは銭型、ZENIGATA!その上女の子(クラリス)がルパンに会うことはもちろん恋人になるチャンスすらありません。峯富士子はもはやコミックパートナーであってもちろん恋愛描写はなし。でもルパンは宮崎に比較的愛された主人公です。彼は女性のハートを射止めるところまではいったからです、これは宮崎作品にみられる「ヒロインをさらうタイプの主人公は強い」法則に合致します。
「天空の城ラピュタ」
パズーはクソガキなので、シータと手を携えて「バルス!」いうのが関の山です。まあ一緒に毛布にくるまるところまでは許してやろうって話。むしろ敵役のムスカのほうがシータのセクシャリティに肉薄してます。「野望だから」という言い訳を置いて求婚してるくらいです。ムスカは監督自身の投影なので「俺と同じ立場(作品中では神か悪魔レベルの最高評価のキャラ)にならないと結婚申し込みは許さん」と言ってるということです。なおパズーもムスカも「ヒロインをさらうタイプの男」であり、これは例にもれず監督からは高評価=ご褒美としての恋愛成就をもらえます。
「となりのトトロ」
トトロ=神なのですが、さつきとメイのボディタッチをゆるしてるのはトトロだけです。神クラスじゃないとうちの娘に以下略。ちなみにトトロは「ヒロインたちをさらう(夜の大空へ家から連れ去る)」典型的な男性像であり、この作品でもっと強力なのが猫バスです。ヒロインを連れ去った彼らはもれなくヒロインたちとのボディタッチを許されています。この点カンタはさつきを自転車に乗せるのみ(軽度連れ去り)なのでそんなに親しくなれません。お前は一生三角漕ぎでもしてろ!!
「魔女の宅急便」
トンボクラスでは恋愛対象にすらなりませんん。出直してこい!ばーかばーか。
「耳をすませば」
男からの一方的な求愛行動だけは一応許してやる。これが宮崎駿のラブロマンスの限界です。
「紅の豚」
ポルコは宮崎駿自身なので論外。でも幸せにはなれません。ムスカの時と同じパティーン。ポルコはジーナをさらえなかった主人公であり、ジーナとの仲は進みません。フィオは一時連れ去るので、よりフィオに猛烈に好かれることになります。
「もののけ姫」
アシタカはジブリの中で最強の主人公です。イケメン・剛力・そして神通力じみた不死身の肉体。さらにはお約束のヒロインの親許(山犬)空の連れ去りと完璧すぎる布陣。「スタンド能力!不老不死!そして時を止められるのも5秒を超えた!」とわめいてるDIOがお子さんに見えるほどの完璧超人です。しかし遠距離恋愛が関の山。相思相愛が初めて書かれる作品であるにもかかわらずここが駿のせーいっぱい。
「千と千尋の神隠し」
相手は神様。マジりっけなしほんと神じゃないと寄り添ってハグすることすら許されません。この作品自体が「連れ去り」をテーマにしたものなので、千尋は千(ハク)に恋する・・・というよりこの不思議な世界自体に深く共鳴し、成長します。ハクとはしかも現実世界に帰還してしまうともう隣にいられないという残酷な運命。厳しすぎるだろう。あと、私はこの作品がジブリの中で一番好きです。
「ハウルの動く城」
ハウルは木村タクヤだよ!!当代きっての本邦のリアル光源氏にすら許すのは同棲まで。しかも相手はバアサン。バアサンならいっかな的な感じ。キビシェ~。おそらく、ハウルのキャラクターはそれほど監督に好かれてはいませんが、ヒロイン誘拐型男性像であることで一定の恋愛を許されます。でも相手はバアサン(しつこい
「崖の上のポニョ」
ようじょからの求愛ならば仕方ない。宗助は初めにポニョをバケツに入れて連れ去っているので恋愛対象になります。
どうでしょうか。ざっと見ただけでもジブリ作品でいかにカップルが成立しずらいか。または成立条件の最低ラインが超人(比喩でなくほんとに超人)か神(一部ホントに神)という厳しさ。これは宮崎家の敷居をまたげる男はそうそうおらんでぇ~
しかしそこに来て堀越二郎ですよ。彼はジブリ作品でのおそらく初めてとなるべろ入れ大人のキスを作中最低三回は行うという離れ業をさらりとやってのけ、さらに初夜、その後の夜の夫婦生活まで描かれ、どれもが堀越からのアプローチではなく、ヒロインから求められるという超弩級の恋愛成就主人公なのです。また親元からの連れ去り、あろうことかヒロインの病気療養中の病院(高山にある、山は死を意味する。つまり堀越はヒロインの死よりも重い存在だと描かれている)からも連れ去るというほんとに魔法使いでもできないことをやってのけます。ましていわんや、自分が連れ去るのではなく、病院から(死の淵から)ヒロインがノコノコやってきてしまうのです。
これだけでも堀越があり得ないほど監督に愛されていることがわかるでしょう?もしそうでなくとも堀越はいままでジブリ歴代主人公がなしえなかった恋愛進捗ABCをかるがるとA連打した後Cに突入してるわけです。しかも何回も!
え?なんで堀越がここまで優遇されるかって?
堀越二郎が宮崎駿にとってリアル神だからにほかなりません。
堀越二郎とは宮崎が完全創作したキャラクターではなく、彼が現実世界であこがれた本物のヒーローなのです。初めてムスカを超える・トトロを超える・ポルコを超える男性像がジブリ作品で提示されました。それは、宮崎駿にとっての本物のヒーロー堀越なのです。
たぶんジブリの男主人公同士でバトルロワイヤルを行えば、堀越は指先ひとつも触れずに全勝するでしょう。それクラスの超絶無敵主人公として堀越がとらえられていることは、この恋愛成就過程(ジブリ初のセックス描写すら彼には許す!!)を見れば明らかです。
だから監督と同じように堀越に対して畏敬の念を持てる人はこの作品、ひっじょーにピュアで興味深い伝記としてみることができるかと思います。
まあそうでなくとも、評価が真っ二つに分かれる作品というのは間違いなく傑作です。
ファンタジーとは、ある思想や観念を押し付けるものではなく、それを見る人の想像力と感性によってさまざまに色を変え、10倍にも100倍にも響いて内面世界に訴えかけるものだからです。
ROCK!YOU!!
人を揺り動かす作品って、そういうものだと思っています。夏の眼福でした。いきねば!
wizonと全く持って関係ない話ですが宮崎駿の「風立ちぬ」見てきました。
彼女と一緒にね!
・・・・・・・・・・・・・・・・それでですね。
いやー事前に賛否両論あることはネットで知っていたので、いろんな意味で楽しみにしていた映画です。
見終わった感想ですが、ものすごく面白かったと感じました。
しかし、この映画なぜか「すげーくだらない!ちっとも面白くない」と思う人から「映画史に残る傑作」と感じる人まで様々にいるようです。どうもこの映画、見る人によって感想が両極端に違うようですね?でもそれはいったいなぜでしょうか。
ひとつは主人公の青年堀越に対する人物的評価が分かれる点ではないでしょうか。
私の考えでは、この映画見る人の人生観で見方や感じ方ががらりと変わってしまう気がします。
*以下「風立ちぬ」の大変なネタバレタイフーンです。未見の方は絶対に読まないでください*
(マジでネタバレ書くから、ぜったいみんなよ?)
そろそろ、いいかな?
それで人生観というのは「どういった生き方に共感を覚えるか」ということです。
風立ちぬの主人公堀越二郎は優秀な飛行機製作者で、その青年期を第二次世界大戦で活躍した日本の戦闘機「ゼロ戦」を作るために没頭します。その間地震や戦争や恋人とのなんやかんやがあるのですが、この飛行機作りに没頭するという行為に共感できるか否かがこの映画の評価を真っ二つに割っている原因だと思います。
二郎は基本的に飛行機のことしか考えられません。最初っから最後までそうです。
最愛の妻が危篤になった時でさえ飛行機の図面を放しません。演出上大粒の涙を流していますが、私はあの描写自体なんか浮いてる気がしました。堀越二郎という青年は飛行機の図面に涙を落したりしない。図面を引きはじめたら全くその世界に没入してしまう性格なので、あの演出は「堀越が最愛の妻と飛行機制作との天秤で苦しんだという表現」なのであって、実際は涙を流しそうもない性格の飛行機大バカなのです。
だから、妻に対する愛情表現もなんかよそよそしい。絵と声があっていないせいもあるでしょうが、どうしても他人とのコミュニケーションが描かれるシーンは浮世離れして見えるのです。
ひとつ印象的な例を挙げると
冒頭から繰り返し描かれる「夢」の描写。これが嫌に生々しい。もはや「夢」パートのほうが「現実」より重みをもっているかのような迫力で描かれています。
堀越は飛行機制作という「夢」の世界で生きている人であって、「現実」はあくまでそのための手段以上のものではないのです。
彼が時折口にする「美しい」という言葉があります。彼は「美しいものしか見えない」人なのです。大震災が起こっても、どこ吹く風で異国の飛行機制作者のことを夢想するくらい目の前の現実は彼にとってリアリズムのないことなのです。
「夢」のために没頭する、そういう彼をみて「すごい!面白い!なんてやつだ!」とおもうか「ありえねえ変人だなこいつ」とおもうか。見た人のそういう感性が堀越に対する評価を決定づけていると思います。
わたしは実は理系畑出身の人間です。(意外かもしれませんが)
理系に行った人ならわかるでしょうが、ほとんど学生は堀越みたいな人間ばかりです。専門分野にのめり込み、没頭し、世間知らずで・・・だが優秀でなによりもピュア。
そういった人間を「あまり好きではない」と思う人が多いのは知っています。間違いなく彼らは変人だから。けれど「世間では通用しない・コミュニケーションスキル0」などと言われても彼らは一顧だにせず研究にまい進します。
彼には「自分が他人からどう見られているか」「世間で大事なこと」などどうでもいいのです。彼らは自分の研究対象の「美しさ・面白さ」しかほんとに興味がないのです。
この感覚、ものすごくわかりにくいかもしれませんが。私にはなんだかそういった生き方、そういった人生にシンパシーを感じる部分があって、それを正面から描いてくれた風立ちぬにはスタンディングオベーションを送る勢いなのです。
彼らは世間に迎合することができない。可愛い彼女とシブヤのクラブで踊り狂った経験のない代わりに、不屈の闘志をもって困難に一晩中挑んだ経験があります、本当に冗談抜きで10年も20年も同じ研究の失敗を乗り越えて進んでいきます。朝から晩まで、いや気が付いたら数か月も研究室にこもり、ひたすらに試行錯誤に没頭します。
わたしには不覚にもそれが美しく見える。大声も出さず、ひたすら自分の世界でのみ感覚と知識を特化していくその静かな情熱が美しく見えるのです。
監督の宮崎駿もおそらくそういう人生観にシンパシーを持っているのでしょう。
彼が堀越青年を自らの映画の中で「最高クラスの無敵主人公」として描いているのが伺われるシーンがあります。
それは主人公とヒロインの関係です。
私見ですが、ジブリの作品は主人公の色恋沙汰が非常に困難な特徴を持っています。また、ヒーロー(男)がどれだけ監督に愛されているかによって、ヒロインとの恋愛成就度合いに差があります。以下いくつか例示します。
「風の谷のナウシカ」(原作)
ナウシカの相手はなんかものすごい超人です。つまり超人クラスの人間ではないとうちの娘(ナウシカ)との交際は許せない!!という駿さんの意図が見えます。アニメ映画版のナウシカのパートナーは名前も忘れたあの餓鬼ではなく、オームです。オームは超自然存在(人間を超えている)であり、高速移動&飛翔描写があり、そしてナウシカを連れ去る存在として監督からはボディタッチとなんかやらしい触手プレイまでは許してもらえています。
「カリオストロの城」
ルパンはハートを盗んでいきました。でもそれを指摘するのは銭型、ZENIGATA!その上女の子(クラリス)がルパンに会うことはもちろん恋人になるチャンスすらありません。峯富士子はもはやコミックパートナーであってもちろん恋愛描写はなし。でもルパンは宮崎に比較的愛された主人公です。彼は女性のハートを射止めるところまではいったからです、これは宮崎作品にみられる「ヒロインをさらうタイプの主人公は強い」法則に合致します。
「天空の城ラピュタ」
パズーはクソガキなので、シータと手を携えて「バルス!」いうのが関の山です。まあ一緒に毛布にくるまるところまでは許してやろうって話。むしろ敵役のムスカのほうがシータのセクシャリティに肉薄してます。「野望だから」という言い訳を置いて求婚してるくらいです。ムスカは監督自身の投影なので「俺と同じ立場(作品中では神か悪魔レベルの最高評価のキャラ)にならないと結婚申し込みは許さん」と言ってるということです。なおパズーもムスカも「ヒロインをさらうタイプの男」であり、これは例にもれず監督からは高評価=ご褒美としての恋愛成就をもらえます。
「となりのトトロ」
トトロ=神なのですが、さつきとメイのボディタッチをゆるしてるのはトトロだけです。神クラスじゃないとうちの娘に以下略。ちなみにトトロは「ヒロインたちをさらう(夜の大空へ家から連れ去る)」典型的な男性像であり、この作品でもっと強力なのが猫バスです。ヒロインを連れ去った彼らはもれなくヒロインたちとのボディタッチを許されています。この点カンタはさつきを自転車に乗せるのみ(軽度連れ去り)なのでそんなに親しくなれません。お前は一生三角漕ぎでもしてろ!!
「魔女の宅急便」
トンボクラスでは恋愛対象にすらなりませんん。出直してこい!ばーかばーか。
「耳をすませば」
男からの一方的な求愛行動だけは一応許してやる。これが宮崎駿のラブロマンスの限界です。
「紅の豚」
ポルコは宮崎駿自身なので論外。でも幸せにはなれません。ムスカの時と同じパティーン。ポルコはジーナをさらえなかった主人公であり、ジーナとの仲は進みません。フィオは一時連れ去るので、よりフィオに猛烈に好かれることになります。
「もののけ姫」
アシタカはジブリの中で最強の主人公です。イケメン・剛力・そして神通力じみた不死身の肉体。さらにはお約束のヒロインの親許(山犬)空の連れ去りと完璧すぎる布陣。「スタンド能力!不老不死!そして時を止められるのも5秒を超えた!」とわめいてるDIOがお子さんに見えるほどの完璧超人です。しかし遠距離恋愛が関の山。相思相愛が初めて書かれる作品であるにもかかわらずここが駿のせーいっぱい。
「千と千尋の神隠し」
相手は神様。マジりっけなしほんと神じゃないと寄り添ってハグすることすら許されません。この作品自体が「連れ去り」をテーマにしたものなので、千尋は千(ハク)に恋する・・・というよりこの不思議な世界自体に深く共鳴し、成長します。ハクとはしかも現実世界に帰還してしまうともう隣にいられないという残酷な運命。厳しすぎるだろう。あと、私はこの作品がジブリの中で一番好きです。
「ハウルの動く城」
ハウルは木村タクヤだよ!!当代きっての本邦のリアル光源氏にすら許すのは同棲まで。しかも相手はバアサン。バアサンならいっかな的な感じ。キビシェ~。おそらく、ハウルのキャラクターはそれほど監督に好かれてはいませんが、ヒロイン誘拐型男性像であることで一定の恋愛を許されます。でも相手はバアサン(しつこい
「崖の上のポニョ」
ようじょからの求愛ならば仕方ない。宗助は初めにポニョをバケツに入れて連れ去っているので恋愛対象になります。
どうでしょうか。ざっと見ただけでもジブリ作品でいかにカップルが成立しずらいか。または成立条件の最低ラインが超人(比喩でなくほんとに超人)か神(一部ホントに神)という厳しさ。これは宮崎家の敷居をまたげる男はそうそうおらんでぇ~
しかしそこに来て堀越二郎ですよ。彼はジブリ作品でのおそらく初めてとなるべろ入れ大人のキスを作中最低三回は行うという離れ業をさらりとやってのけ、さらに初夜、その後の夜の夫婦生活まで描かれ、どれもが堀越からのアプローチではなく、ヒロインから求められるという超弩級の恋愛成就主人公なのです。また親元からの連れ去り、あろうことかヒロインの病気療養中の病院(高山にある、山は死を意味する。つまり堀越はヒロインの死よりも重い存在だと描かれている)からも連れ去るというほんとに魔法使いでもできないことをやってのけます。ましていわんや、自分が連れ去るのではなく、病院から(死の淵から)ヒロインがノコノコやってきてしまうのです。
これだけでも堀越があり得ないほど監督に愛されていることがわかるでしょう?もしそうでなくとも堀越はいままでジブリ歴代主人公がなしえなかった恋愛進捗ABCをかるがるとA連打した後Cに突入してるわけです。しかも何回も!
え?なんで堀越がここまで優遇されるかって?
堀越二郎が宮崎駿にとってリアル神だからにほかなりません。
堀越二郎とは宮崎が完全創作したキャラクターではなく、彼が現実世界であこがれた本物のヒーローなのです。初めてムスカを超える・トトロを超える・ポルコを超える男性像がジブリ作品で提示されました。それは、宮崎駿にとっての本物のヒーロー堀越なのです。
たぶんジブリの男主人公同士でバトルロワイヤルを行えば、堀越は指先ひとつも触れずに全勝するでしょう。それクラスの超絶無敵主人公として堀越がとらえられていることは、この恋愛成就過程(ジブリ初のセックス描写すら彼には許す!!)を見れば明らかです。
だから監督と同じように堀越に対して畏敬の念を持てる人はこの作品、ひっじょーにピュアで興味深い伝記としてみることができるかと思います。
まあそうでなくとも、評価が真っ二つに分かれる作品というのは間違いなく傑作です。
ファンタジーとは、ある思想や観念を押し付けるものではなく、それを見る人の想像力と感性によってさまざまに色を変え、10倍にも100倍にも響いて内面世界に訴えかけるものだからです。
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ダミ
性別:
非公開
職業:
なんか一生懸命押したり書いたりする仕事
趣味:
ゲーム・縄跳び
自己紹介:
弱い。ひたすら弱い。とにかく弱い
あるときは宝箱の中から爆弾を出すシーフ、またあるときは攻撃の届かないファイター。
ただ皆様の平和と健康と幸福を祈るだけの存在
E-mail:
wizardry_online31jp@yahoo.co.jp
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— (堕ω美) (@superstreetwiz) 2015, 12月 7